「わたしのマンスリー日記」第18回 幸福な死――「野菊の墓」
民子様 朝からここへ這入ったきり、何をする気にもならない。外へ出る気にもならず、本を読む気にもならず、只繰返し繰返し民さんの事許り思って居る。民さんと一所に居れば神様に抱かれて雲にでも乗って居る様だ。僕はどうしてこんなになったんだろう。学問をせねばならない身だから、学校へは行くけれど、心では民さんと離れたくない。民さんは自分の年の多いのを気にしているらしいが、僕はそんなことは何とも思わない。僕は民さんの思うとおりになるつもりですから、民さんもそう思っていて下さい。明日(あした)は早く立ちます。冬期の休みには帰ってきて民さんに逢うのを楽しみにして居ります。
十月十六日 政夫
民子の死
それから半年余りたったある日、矢切の母から一通の電報が届きました。急ぎ矢切に帰って聞いてみると、民子が亡くなったとのことでした。嫁ぎ先のお祖母さんの話です。
「六月十七日の午後に医者がきて、もう一日二日の処だから、親類などに知らせるならば今日中にも知らせるがよいと言いますから、それではとて取敢(とりあえ)ずあなたのお母さんに告げると十八日の朝飛んできました」
「民や、そんな気の弱いことを思ってはいけない。決してそんなことはないから、しっかりしなくてはいけないと、あなたのお母さんが云いましたら、民子は暫くたって、矢切のお母さん、私は死ぬが本望です。死ねばそれでよいのです……といいましてから猶口の内で何か言った様で、何でも、政夫さん、あなたの事を言ったに違いないですが、よく聞きとれませんでした。それきり口はきかないで、其夜の明方に息を引き取りました……。それから政夫さん、こういう訳です……夜が明けてから、枕を直させます時、あれの母が見つけました。民子は左の手に紅絹(もみ)」の切れに包んだ小さな物を握って其手を胸へ乗せているのです。それで家中の人が皆集まって、それをどうしようかと相談しましたが、可哀相なような気持もするけれど、見ずに置くのも気にかかる。とにかく開いてみるがよいとあれの父が言い出しまして、皆の居る中であけました。それが政さん、あなたの写真とあなたのお手紙でありまして……」